学習力より学問力


芳村思風一語一会 vol.2917
「問いを持つ」

答は大切です。
それ以上に大切なことは、問いを持ち、問い続けることです。
行き詰まったときは、「問い」を変えてみること。問い方を変えてみること。

「なぜ売れないのか」ではなく、「早く使い切ってもらうにはどうするか」
問い方を学ぶこと。問い方を考えること。
学習力よりも、学問力なのです。

人間は、答を求め、答を出すことで安心し満足する。
多く人々は、その答に支配され、その答に縛られて、他の答や考え方の違う人と対立することが多くあります。
自分の答が正しいと信じ、答に縛られた人間が、宗教やイデオロギーや文化や価値観の違いを理由に戦争をし、殺し合っています。
価値観の同じ人だから結婚する、価値観の同じ人としか仕事ができない、
社員全員の価値観を統一するということは、違う価値観を認めない、個性を認めない、違いを認めないということになる。

生まれた環境が違い、育ち方が違い、出会いが違うのだから、
まったく同じ価値観や考え方になることはない。
答に縛られることの恐ろしさを認識し、自覚しなければならない時代です。

人間が答に縛られるのは「真理はひとつ」と考える理性に支配されているからです。
真理はひとつと考えると、今あるいくつかの考え方の中のどれかひとつが正しいとなる。
今ある答のどれかひとつが正しいのではなく、学問も社会も人間も常に、
より正しい考え方、よりよい考え方へと成長し、発展し、進歩し、変化し、動き続けているのです。

人間は不完全な存在であり、理性も合理的にしか考えられない有限で不完全な能力なのです。
現実は、合理的なものと合理的でないものが互いに一対となって存在しています。
善は合理的なもので、悪は非合理で合理的でないものです。

理性で考えれば、善は良いが、悪はダメとなる。
しかし悪がなくなれば、何が善かわからなくなり、善を求める心は消えてしまいます。
物事には、完全な善はなく、プラス面とマイナス面が常に半分ずつある。
表には裏、陰には陽、光には影があるのが、真実の世界です。
真実は、矛盾を内包し、理性や真理は矛盾を排除する。

だから理性では矛盾ある真実に対応できない。
理性で考えて、どんなに正しいと思っても完全・絶対ではないのです。

だから私たちは、答を持ちながらも、その答に縛られないためには
「ほんとうにこれでいいのか」と問い続けなければいけないのです。

「問い」を忘れたとき、人間は成長が止まります。
常に答は不完全なのです。
不完全とは間違っているということではありません。
他から学び成長できるということです。


やさしい笑顔と光がすべての方に届きますように・・・

「芳村思風 語録」
(@1,000)

「原理原則集」
(@1,000円)

●芳村思風先生の勉強会
・5月24日(水)大阪思風塾
18:30~20:30 心斎橋
参加費:5,000円

・5月25日(木)東京 講演
19:00~21:00 ソフトタウン白金 
地下1階集会室 30名(定員)
会費 : 一般3,000円
※事前申込が必要です


・6月8日(木)博多講演会
18:30~20:30 
Hクリオコート博多
前売:2,000円

※お問合せは・・・
思風庵哲学研究所

コメント